happy swedens dagbok

北欧スウェーデン・ダーラナ南部に住むhirokoの 自然とアンティークに囲まれたほっこりした毎日をつづります。
学校って。(文章のみ。正直、愚痴ですm(_ _)m )
気付けば、ブログを1ヶ月も放置していました。すみません。
2月にもストックホルムに行っていたので、その時のことを書きかけたものが
下書きに残っていた事にも今日気付いたくらい、本当にバタバタでした。
そちらを先に完成させてアップしようかとも思ったのですが、今回のブログの
お休みが長かった訳を先に言い訳させてくださいまし。愚痴になるんですけども。
(今回はスウェーデンネタでも北欧でもなんでもないので、興味のない方はスルー
してくださいね。。。。すみません。。。。)


普段は娘のことはこのブログにあまり深く書かないようにしているのですが、
今回ばかりは参りました。娘の学校です。
今まではヴァールドルフ教育(日本ではシュタイナー教育で知られていますね)
は色使いも素材の使い方も子供に優しくて、自然にあふれていて大歓迎だったの
ですが、小学校に入って少しずつ疑問が大きくなってきました。
それも1年生のときにはごくごく小さかったのが、2年生になってから、
ムクムクと不安が大きくなってきたのです。

日本のような受験戦争は皆無だし、勉強よりも音楽やスポーツや本の好きな娘
ですから、もう勉強は2の次3の次で、好きなように伸び伸びやってもらおうと
思っていたのですが、現在2年生を半分以上終わったところ(スウェーデンは
秋・春の2学期制なので、前期後期という感じでいうと2年生の後期です)で
先月のある日、いつものように「今日は学校で何をやったのかな?」と聞くと

「アルファベットの『B』だよ」

はっ、、、、、


え?ええええええーーーーー??????

いくらクラスが1&2年生合同クラスだといっても、1年生のペースだとしても
今もう2年生の後半だよ?
アルファベットのBくらい入学式から2週間後くらいにやっといてよねって感じで
サーッと血の気が引きました。
娘はもう大文字小文字全部書けますし、読み書きは大好きで余裕でクリアなので
授業に頼るべき部分は少ないのですが、それにしてもこれはないでしょという
感じで、おおいに驚きました。そんな授業してていいの?

娘の学校の担任の先生は実は我が家の一番のご近所さん。
半径1キロ以内に子供の住む家は我が家とそこの2軒しかないといううえに
子供たちの年も近く、お互い子供たちの送迎を交代でやったりと本当に
近しくお付き合いしているお宅の、ママさんが娘の担任の先生だったのです。
よく知ってる人だし、良かった良かったと言っていたのですが、これが大誤算。
総勢20人の子供を前に、言うことを聞かない子をキーキー叱り付ける毎日。
授業の内容に落胆したのはもちろんですが、担任の先生が毎日不機嫌では
子供のほうからも笑顔が消えて行き、楽しい毎日が送れないんじゃ、、、と
いうのが一番の悩みのタネでした。

漠然とそういう思いを夫と2人だけで話し合ったのが1月末。
それが、なぜか時同じくして他の父兄からも不安・不満の声が上がり始め、
校長先生も巻き込んで瞬く間に学校の一大事となってしまったのです。
授業内容に不満な者、生徒の扱い方に不満な父兄。
担任の先生を一斉攻撃するのも可哀相だし、ここはなんとか穏便に済めばいいなと
思っていたのですが、「うちの子を転校させます」「ウチも」と数人から声が
上がったため急遽、会議が開かれることに。

2年生児童の保護者と担任の先生、校長、そして数人の教師。
会議では担任の先生は「こんなはずでは、、、うっ、うっ、」と泣き出したのは
想定内だったのですが、その先生の相談役(後見人って感じでしょうか)だという
別の女教師はなんと息巻いて父兄にくってかかってきたので、非常に驚きました。
え?これってそういう会議だったの?

そして会議の翌日、学校側が出した答えは
「学校の方針に合わない子は移って頂いて結構」

・・・・・・・・

参りました。担任の先生は後見人の先生の偏った(「あなたはよくやってるわ!
私たちは間違ってないのよ!」という洗脳にも似た)励ましを真に受けて、
自分のやり方を一切訂正しないという方針を固めたのです。
いくら後見人が肯定しちゃっても、実際に複数の保護者から不満の声が上がっているということは、やり方の見直しの必要があるんじゃないかな?とせめて疑問を
持って受け止めて欲しかったです。

この瞬間、私たち夫婦はそれまで強烈なアンチでもなんでも無かったのに、
変わる気はありませんと言い放ったそのクラスに希望の光が見いだせず(同じ級友と担任が9年生(中3)まで持ち上がりだと分かってしまっているので)早いほうが良いと思って娘の転校を決めました。
家から10分、夫の勤め先から50mの理想的な立地だった学校を諦めて、
ずうっと遠い別の学校へ通わせることになったのです。

先週1週間はスポーツ休暇といってお休みだったのですが、なんとこの期間に
娘を含めて3人の生徒が転出しました。娘はクラスに適合していなかったのかと
いうとそんなことは全くなく、むしろ誰よりも溶け込んで、誰よりも全員と
仲良くしていました。贔屓目かもしれませんが、娘を介してみんながまとまれるような、そういうポジションでした(中心になって引っ張って行く、というのとはまた全然違う、ソフトな存在)。それを担任の先生も良く分かっていたので、転校を決めてからも「お願いだから戻って来て。彼女はクラスに必要なのよ」などとメールをよこしてきたりして参りました。
あのね。クラスをまとめるのはウチの娘じゃなくてアナタなんですけど。

スキーがどんどん楽しくなって来た娘は大きなリフトも難なくこなすようになり、
家から5分のスキー場のファミリーシーズン券を買ってしまったため毎週末が
土日ともスキーだったここ数週間。さらにスポーツ休暇ともなると9日間のうち
7日がスキーということで私は膝ガクガクなのですが、娘は転校のこともあまり
長く悲しむこともなく嬉々として毎日滑り、遊んでいてくれるのだけが救いです。
転校したいと決めて、もう翌週には転校できるというこのイージーなシステム
(というか、田舎なのでどの学校も空いてるんですけどね)に驚きつつも、
いじめなどでの転校ではないということを心から有り難く思っています。
転校先は本当に良い学校だと周りで常に評判の学校なので、今までより30分早く
起きるのだけ頑張って、なんとか前向きにやって行きたいと思います。

今日初日でした。スウェーデンでは幼稚園の通い始めや転校のときなどには
保護者が数日教室で参観していて良いinskolningというとても良いシステムが
あります。今日は夫が仕事を半休して行ってきました。明日は私が半日付き添い
ます。今度も1&2年生のクラスで規模もほぼ同じなのですが、とても落ち着いた、まとまりのある良いクラスだとのこと。早くも友達が出来て、休み時間には一緒に縄跳びをしたそうです。
がんばれ、娘!!!




あんまりバタバタしていたので、いつもはバレンタインデーの翌日に出していた
ひな飾りをまだ出していないことに今気付きました。ひな祭り、忘れてた。
なんてこと。。。。明日やろう。。。。

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がんばれ日本
もうこの2日間、ずっとPCにかじりつきっぱなしだ。
大変なことが起きてしまった。
昨日、午前中に知人に電話をかけた時、「日本、大変なことに・・・、ねぇ」と言われて
何も知らない私は、何だろう、3月9日のM5の地震のことかな、などと思っていた。
その直後ニュースを知って以来、テレビとネットに釘付けになった。
流される画像を見ては、ただもう涙が止まらなかった。

地震・・・

阪神淡路大震災を経験した私だが、このたびの東北太平洋沖地震のすさまじさには言葉が出ない。
規模が違う。
神戸の地震の時には津波はほとんど起きなかったので、話が違う。

今でも覚えている。
もくもくとあがる黒煙の立ち込める空をヘリコプターが飛び交う音の中、
近くの青空駐車場に停めてあった車に兄と座って、ぼうっとカーラジオを聞いていた。
全然用意なんかしてなかったから、ラジオがそこにしかなかったのだ。
暗い空と、バラバラバラというヘリコプターの音とで
戦争映画の1シーンに自分が放り込まれたような錯覚に陥りながら放心していたのが
地震当日だった。

幸い住居はほぼ無事だったが余震に備えて服を着たまま、靴とダウンを枕元に
おいて寝たときの心細さ。

1週間ほどたって決心して、当時勤めていた大阪の会社へ出勤しようとしたとき。
家族の分の食料もついでに買出ししようと、焼けだしにあった人のように背中にリュックを
しばりつけて自転車で小一時間トラックの往来する国道脇を走り、やっと西宮北口からは
運行していた阪急電車に乗ると、一つ次の駅から乗ってきたのは・・・
キャメル色のコートに手のひらに乗るほどの小さなバッグをつまむように持った
若い女性だった。お化粧もきれいだったし、肩先では巻き髪がきれいに揺れていた。
靴は当然パンプスだった。
ショックだった。
もう、『電車の動いているエリアに住んでいる』だけで、地震を体験してないかのような。
ああ、この人には分からへんのやわ。
どんなにすごかったか。

出勤しても、大体当時の上司でさえ「そんなに揺れたか?ウチは揺れへんかったぞ」
・・・・・・・。
大阪と神戸でも、もちろん神戸内でも程度の違いがあったのだからしょうがないのかも
しれないが、まるで「地震に遭うたからってそんなに大変そうに言うて」というトーンが
含まれていて、その温度差にまたもや暗い気持ちになった。

神戸の時、カーラジオで聞いた初めてのニュースでは「死者25人」だった。
それが瞬く間に5000人を超えていった。
ただ、先に言ったように阪神淡路では地震のみである。
避難しても、怪我をしていても、家に戻れば家は元の位置に建っているのだ。
だが、津波にやられてしまっては、あとから思い出の品を取りに行くこともできない。
阪神淡路のときも、家屋に下敷きになりながら救助を待っていたのに、火の手がのびて
生きたまま炎にまかれて死んだ人の無念さを思うと胸が張り裂けそうになるが、
何もかも泥水に呑み込まれて、探せないし探してもらえない今回の状況の悲痛さは
筆舌に尽くしがたい。

全身から消えない無念さでもって、それでも次々とニュースや画像をチェックせずには
いられない。何もできないのに。変な焦りがあって、見ずにはいられない。
いろんな知り合いが、「日本=ヒロコ」という連想で電話をくれる。
私の家族の安否を気遣ってくれる人がここにもいる。


なんだか、今日は気分のせいか、文語調に。
でも、こういうのも見つけました。


http://www.youtube.com/watch?v=UNbJzCFgjnU

地震、津波、どちらも起きてしまって、それはもう悲惨の一言だけれども、
悲しくて力の出ない、やりきれない気持ちの中にも
前に向いて進む力も必要だと思わせてくれる。
3月12日、日本がつながった。私たちは、つながることができる。
このCMを見て、また別の涙がとまらなくなりました。




PS.
CMソングを歌ってるマイヤ・ヒラサワは、実はスウェーデンのアーティスト。
お父さんが日本人。(日本では彼女デビューしてたのね、最近)
彼女が日本語を話せるのかどうかは知らないけれど、たまたま出合ったものに
彼女の歌が使われていることが、遠くスウェーデンで日本を思う私の気持ちにシンクロして、少し嬉しくなりました。





プリンス
数日まえから楽しみに、でも「どうなんだろう」・・・という複雑な気持ちで待っていた皇室のベビー誕生。
スウェーデンでもニュースになって今日のDNに大きく取り上げられていました。
pojke

「日本は41年間男児誕生を待っている」と出ています。
結構細かく日本の皇室について書かれていて、雅子様が大使への道をあきらめて皇太子妃になられたことや近年体調を崩されていたことも全部書かれています。

スウェーデンの時期国王は現在の国王の長女、ヴィクトリアがなることに決まっています。
スウェーデンももともと「男子が王になる」ということを守り通してきたのですが、長女、次女と生まれたときに「これはいよいよ女性が王になるときがきた」と会議でヴィクトリアが時期国王と決まったのです。

それがなんと決まったあとに男子誕生。フィリップ王子です。
日本ならここで「えーと、以前決めましたけど、王子が生まれちゃったもんで、時期国王はやっぱり男子、ということに・・・」と言いそうですが「もう会議で決めましたからね、変更はしませんよ」ときっぱり言ってくれたスウェーデン。やるじゃないですか。気持ちいい。
ところが父親のカールグスタブ君は、王子を国王にしたくなってしまったようで、1人グチグチ言っているというところ。
でもここで王子を時期国王に、なんて言えば全国民の女性から大ブーイングだからやめて正解ですよ、王様。
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